2020年の保育を振り返る

タテノイト、スタートの2020年に関わって下さった全てのみなさま、ありがとうございました。

そして、本年もタテノイトをどうぞよろしくお願い致します。

新しく事業を始めて1年が経ちました。

この短い間でも
保育園で、ジオツアーで、絵本カフェで、
乳児から小学生までたっくさんの子ども達との出会い、
そして新しい気付きが数多くありました。

その中でもこれは、と思ったことをご紹介します。
タテノイトの理念の核心です。

まずはこのなんともpeacefulな写真をごらんください。

保育中、ちょっとしたケンカをした二人のそのたった10分後の写真です。

大人だったらあり得ませんよね。

子ども達はいつだって
誰に対しても分け隔てのないフラットで
後腐れなんて無縁な関係を築いていることに気付かされます。

でも、大人になるにつれてこの関係を
保ち続けることが出来なくなってしまいます。
いつの間にか。

何かが邪魔をするのだと思いますが、、、
一体なんでしょうか?

年齢が進むにつれ、集団の中で評価にさらされる機会が増える

これが要因の1つと考えます。

幼稚園/保育園児であっても、
運動や計算といった”与えられた”課題がある場合
「できる/できない」の評価に否応なく晒されてしまいます。
できたらご褒美のシールがもらえるとかありますよね。

さらに小学生になるとテストがあって
評価が数値化されますから、これまた分かりやすいですね。

なぜ、評価を可視化するのか、なぜそれが必要なのか。

これは現行の教育制度では仕方のないことで、
評価する側の大人の都合に他ならないですよね。

大人の都合により子どもに一斉に同一の課題を与えることで

できなくたっていいんだよ
「テストの点数=その人の評価」ではないよ

なーんてことを言っても
そうはいかない雰囲気が醸成されていきます。

できてもできなくてもいい
意味があるのかないのか分からない
そんな課題で一律に評価され、
子どもの多様性も、まとめて排除ですよね。
そりゃ出る杭も打たれます。

その評価が向上心に結びつく人も
確かにいるかもしれませんが
あくまで外発的動機つまり
『テストの点数を上げたいからがんばる』
を越えたポジティブなモチベーションに
つなげる有用な仕組みとは必ずしも言えません。

一方で、彼らを見ていて気付かされるのは

『生きたいように生きたい』

と思っているのだということ、
(苫野一徳さんがおっしゃる文言を拝借)

そして

『子どもは生まれつき「探究者」である』

ことです。
「なんで?なんでー?」ってよく言ってますもんね。

なので、自分なりの「探究」が始まれば、勝手に伸びるし輝きます。

僕らの役割は
何か知識や能力を授けることではなく、ただその探究心に伴走すること

これこそがタテノイトの理念の核心です。

僕らが思う「探究」についてさらにもう少しだけ。

これと対極にあるのが先述の

「大人が与える勉強/課題&評価」のセット

です。

このセットは、ともすれば子どもが相手を
羨んだり嫉んだりする環境を生んでしまいます。

一方で、個人の探究心に委ねられた学びは、
人によって課題が違いますから、
始めも終わりも設定するのも自分。

全てが「知りたい」欲求に駆動された内発的動機に基づきます。
評価がスコア化され得ないので、他人との比較にさらされることもないですよね。

相手を羨んだり嫉んだりするどころか、
互いへの称賛が生まれるので、自己肯定感の向上にもつながります。

と、まあイイ事ずくめなわけです。

何より。

強烈な探究心を持っている子どもは
(≃大人の思惑から抑圧や支配を受けていない子ども)
なんともまあキラキラしています。
光るものを持っています。
これは僕らが出会ってきた研究者と同じですね。

結局のところ、僕ら大人のやるべき関わりは

「大人の思惑フリーで子どもそれぞれの興味に伴走する」

これに尽きます。

このためには、僕らにも強い好奇心があることが必要不可欠です。

野外に出かけることは、
あくまでこのための環境設定として便利だから。
大切なことは、
子どもの『ねーねー見てー』から始まる好奇心の芽を決して摘まないこと。
そして大人も一緒に面白がる。

子どもに何か教えるなんてただのお節介。
子どもはそんなこと望んでいないし、思惑なんてお見通し。
子どものポテンシャルを信じて勝手に伸びるのを待てばいいだけです。
そう、結局のところ、子どもを信じられるかどうかです。

こんな関わりをタテノイトでは大切にしています。

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